Imaginary Circuit

Imaginary Circuit
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リアルな方向
リアルな方向
イマジナリーな方向
イマジナリーな方向
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赤毛のアン
赤毛のアン / 1982年
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イマジナリーサーキット
イマジナリーサーキット (アート発生モデル)

情報の方向

あなたは客観的世界の中にいる。世界からの情報は目や耳などから入ってくる。 このような唯物論的な世界観では、情報は世界からあなたに向かってやってくる。これをリアルな方向と呼ぼう。 その対極に、唯心論的世界観というものがある。それは、世界は夢のようにあなたの意識の中に在るという考え方だが、 そのような、あなたから世界へ向っていく情報の流れをイマジナリーな方向と呼ぼう。 現代人の、特に大人は、TVの前に座って一方的に情報を受信するリアルな方向を好むようだが、 一方にはアートの愛好家や幼い子供達のように、イマジナリーな方向、すなわち、想像の発動を好む人たちもいる。 モンゴメリが「赤毛のアン」の中で、「想像の余地」(Scope for Imagination)と呼んだものは、世界への送信用のアクセスポイントであり、 私達も子供の頃は、世界と双方向で通信していたことを思い出させてくれる。

アートという現象

UFOや幽霊の実在を否定する人は多いが、アートの実在を否定する人は少ない。 私達は、扉を開けばいつでもアートと対面できるからだ。 では、そのアートの客観的な姿とはどんなものだろうか? 例えば今、ピカソの絵を見ている二人の人がいて、一人は陶酔していて、もう一人は全く感動していない状況を考えよう。 二人の網膜には同じパターンの画像が映っているが、 陶酔している人の意識にはアートと呼ばれる何かが生じていて、それは網膜上の画像とは別のものだ。 つまりアートとは、感動と呼ばれるような、意識の中に生じる何らかのイマジナリーな現象であろう。
では、アート作品とは一体何であろうか? それは誰の目にも映るリアルな存在である。 だが、同じ作品がある人にはアートとなり、別の人にはそうならない場合があることや、 多くの支持を集める作品とそうでない作品があることなどを考えると、 ア−ト作品とは、アートというイマジナリーな現象を起こすためのリアルな装置だともいえるだろう。 ここでもう一度、絵の前に立っている人を観察してみよう。 なぜ、そんなに長く立ち止まっていられるのだろうか。まるで作品と対話をしているようにも見える。 たぶん、一方的に作品から情報を受け取るだけでなく、感情移入や想像などと呼ばれる精神活動によって、情報を投げ返すことに時間を費やしているのだろう。

仮説

さて、ここに一つのアートモデルが見えてくる。 それは、作品からあなた、あなたから作品、という二つの方向による循環的な情報の流れを、アート発現の現場として捉えることだ。 その時に立ち上がるクオリアが、アートの放つオーラなのではないだろうか。
ここでは、特にあなたから作品という流れ、すなわち想像力の発動に注意して欲しい。 つまり、このモデルでは、アートを創るのは作家だけの仕事ではなく、それを見るあなたとの共同作業である。 では、想像を発動させるにはどうしたらよいのだろうか。 それは、物が上から下へ落ちるように楽な事ではない。 空白のキャンバスにさえ、壮大な宇宙を投影できる禅の達人や、幼い子供達には簡単なのかも知れないが、そのハードルは意外と高い。 ならば、装置としてのアート作品という観点から、想像の起動を促し、増幅させるアート発生機能を考えてみよう。
そのような機構をイマジナリーサーキット(Imaginary Circuit)と名付けた。

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