不完全な情報と、その近くにある情報のペアには、情報の補完のために想像を誘導する働きがあるようだ。 その性質を利用して想像のコントロールを試してみよう。
ホッ■
何だこれは?
ホッ■ ステッ■
だんだん加速して、
ホッ■ ステッ■ ジャ■
かなりの距離を飛んだはずだ!
■の部分は意味をもたない隙間であり、これを虚記号(Imaginary Symbol)と命名した。 虚記号の近くの実記号はあなたに向って情報が送信しているのに対し、虚記号はあなたからの情報を受信していると考えよう。 ただし、虚記号は実記号のように約束事のない行間や余白の類であり、その内容は基本的に何でもありである。 そんな虚記号の情報量(想像量)を考えれば、その容量は穴の空いたバケツのように手に負えない大きさになってしまうだろう。 だが実際には、虚記号は周囲の文脈によってやんわりと蓋をされていて、 上の例では文脈の情報量が増えるにつれ、虚記号が冗長になっていく様子が確認できるだろう。 さて、人が情報をやりとりするには適度な冗長性が必要であり、情報量が多すぎるとうまくいかない。 これはイマジナリーな方向にも当てはまる。 つまり、いきなり空白のキャンバスに対峙しても何も起こらないが、虚記号の想像量をコントロールすることによって、 小さな想像を起動させ、徐々に増幅し、大きな想像へと導くことが考えられるのである。
科学の条件の一つに検証可能性がある。
アートを含む精神的な現象には個人差もあり、現象そのものを客観視することさえ難しいため、なかなか科学の対象にはならない。
だが、多くの人がアートの実在を認める以上、そこにも客観性と論理の通用する道筋はありそうだし、
たとえ自分だけに通用する理屈でも、客観的に評価しうるアートを導き出せるとしたら、そんな架空の理論も捨てたものではない。
私はイマジナリーサーキットの理論によって、アートを発生させるしくみを研究してきた。
この回顧展で、そうしたマッドな実験を是非あなたにも検証していただきたい。
もし、アートの一種と呼べるようなオーラを、あなたの意識の中に起こせれば実験は成功である。
ここから先は年代順にプロジェクトと作品が展示されている。
新しいプロジェクトから始まり、ページを進むにつれ過去へ遡行していく。
全体を素早く俯瞰するには、各章に設けられた次の章へを進めば概要だけを覗くことができる。
この展覧会は、Webや電子出版という情報技術によって、
本来ならイマジナリーの闇の中に沈んでいたはずの無名の作家の地底世界を、
リアルの光で照らし出して見せるプロジェクトであり、
望遠鏡や顕微鏡を覗きこむような感覚で見ていただけたらと思う。