過去へ向った旅は、隙間発見の1979年を通り越し、勢い余って幼年期まで来てしまった。
展覧会はここで終りだ。
これは回顧展であると同時に、架空のアート工学を描いた絵本でもあり、
この本自体が一つのイマジナリーサーキットとして機能することを願っている。
意識とは、脳の活動に付随した現象に過ぎず、それは脳の活動に一切影響を与えない、という考えがある。
それはそうかも知れないが、それを言うなら全く逆のことだって言える。 脳の物理的活動とは、意識の随伴現象に過ぎない、と。
確かなことは、私達にとってリアルもイマジナリーも、どちらも愛すべき両輪だということだ。
それらの協調を要請するアートは、だから素晴らしいのだ。
私達はイマジナリーな方向で世界と係わることができる。
だから、念じることで岩が動くと考えるのは、それほど的外れではない。
例えば、その想いを「この岩を動かしてください」と看板に書いておけば、いつか誰かが動かしてくれる可能性は高い。
イマジナリーの意義は、リアルに対するささやかな反抗と願いである。
ではここで、人類の明るい未来に想いを馳せてみよう。
もし、進化論に、弱肉強食のリアルな力学しか働いていないとしたら、世界の住人は凶悪化の一途を辿り、狡猾な悪魔ばかりになってしまうはずだ。
だが、そんな結末を否定し、それに代わる優しい未来を心に描くこと、すなわちイマジナリーの力学が、私達の世界には確かに働いている。
普段、私達は、あまり昔のことを思い出さずに生きている。
だが、思い出は、遠く離れるほど強烈になっていく気がする。
この世に生まれて、世界に初めて触れたことより凄い経験があるだろうか?
昔々、地面は今よりずっと近い処にあった。
驚くべき世界。 床! カーテン! 階段! ストーブ! 芝生! 長靴!
これ以上の贈り物があるだろうか?