科学の記号、音楽の記号、道路の記号、地図の記号...
記号はいつも自分以外の何かを指差している。
記号自身の姿かたちに関心が寄せられることは殆どない。
記号は長い間に、指差したものたちの香りを帯びてしまうことがある。
それは期待されていないことなのだが、その香りを楽しんでみよう。
記号は、リアルな方向に情報を運ぶために作られたエリートだ。
その目的に沿って洗練していけば、その姿はだんだん抽象化され、最後は数学や科学の記号のように無味乾燥な規約だけとなる。
そうした精鋭達は、大きさや色を変えられても、意味が動じない堅牢さを誇っている。
では、そんな彼等をイマジナリーな方向に向けてみよう。
記号のイコン化は、干乾びた記号を水で戻すような作業だ。
肉体を与えられた記号は、野生的な多義性を放ちはじめ、大いなる誤解の余地を取り戻す。